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プロポーズリング購入前に役立つ、ダイヤモンドの意外な歴史

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2019.1.18

ダイヤモンド

プロポーズの時に、婚約指輪として女性へ贈られることが多いダイヤモンドリング。
でもどうせ贈るなら、ダイヤモンドのちょっとした知識も身に着けたいと思いませんか?

なぜなら女性は宝石そのものはもちろん、宝石を彩るストーリーや由来や背景なども含めて好きなもの。
ダイヤモンドの歴史や基礎知識をほんの少しでも知っておくと、“婚約指輪を贈る” 行為がもっと素敵なものになるはずです。

わたしは宝石・時計いのうえ 宝石鑑定士の井上晃一(いのうえこういち)と申します。

ダイヤモンドは人類が発見して以来、ロマンス・神秘的な魅力・感情的な含みを結びつけてきました。彼女にとっておきの素敵なダイヤモンドリングを贈るのならば、 ダイヤモンドのちょっとした歴史も知っておくことをオススメします。

みなさまが知らなかった意外な事実が、ダイヤモンドそして日本の婚約指輪の歴史に隠されているのです。

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数百年前までダイヤモンドは人気がなかった!?

ダイヤモンドは人気がなかった

世界中には数えきれないほど多くの宝石が存在し、その中でも“宝石の王座”に君臨するのが、ダイヤモンド。でもダイヤモンドが最初からここまでの人気を誇ってはいなかったことは意外と知られていません。

かつてダイアモンドは天国の雨や露からできると考えられ、また、ダイアモンドは再生し不滅であるという神話も広く行き渡っていました。

ダイヤモンド発見の歴史は古く、およそ2500年前。インドが宝石用ダイヤモンドの主な産出国で、記録によれば当時からすでに産出量が慎重に管理されていたのです。

特にインドのゴルコンダ鉱山は、歴史上でもっとも美しいダイヤモンドが産出した鉱山として有名。108カラットのコ・イ・ヌール(英国王室王冠を飾る大粒ダイヤ)や、ワシントンのスミソニアン協会が展示している45カラットの青いホープ・ダイヤモンドなどを産出しました。

今では「宝石と言ったらダイヤモンド!」「婚約指輪と言ったらダイヤモンドリング!」というくらいにダイヤモンドが主流になっていますが、実はダイヤモンドがここまでのシェアや人気を誇るようになったのは数百年前のこと。

ご存じの方も多いかと思いますが、ダイヤモンドは原石のままでは輝きやきらめきが非常に少なく、“ただのガラス”と 言っても分からないくらい。

数百年前まではダイヤモンドよりカラーや模様がクッキリ表現されているエメラルドやルビー、サファイヤなどの宝石の方が人気を集めていたのです。

ダイヤモンドを一番最初に見つけた人類

ダイヤを見つけたのはトラヴィダ族

エメラルドやルビーやサファイヤなどの宝石が主流だった中、一番にダイヤモンドを見つけて利用しだしたのは紀元前4世紀のこと。古代からインドに定住していたと考えられるドラヴィダ族だと言われています。

今では考えられませんが、当時のインドでは河原でダイヤモンドを拾って利用をしていたと考えられています。この時からすでに、ダイヤモンドの硬さや平行に割れやすいという性質に気が付いていたようです。

ちなみに、ダイヤモンドは日本語では「金剛石」と書きますが、読んで字のごとくサンスクリット語で “堅固”の意味。紀元前4世紀からダイヤモンドの硬さなどが明らかになっていたのは凄いことですね。

その後、紀元4世紀になると東南アジアのボルネオ島でもダイヤモンドが発見されますが、あまり使用されることはなく、主流になっていたのはほとんどがインド産のダイヤモンドだったそうです。

ダイヤモンドを巡って、争いが勃発

ポルトガルとインドのダイヤモンド抗争

しばらくの間、インドがダイヤモンドの唯一の産地と して知られていました。しかし1720年代に新たにブラジルでダイヤモンドが 発見されてから、争いが勃発するのです。

今までインド人がダイヤモンドをヨーロッパに輸出していましたが、ブラジルでダイヤモンドが発見されてからポルトガル人がヨーロッパにダイヤモンドを輸出するようになりました。

インドのダイヤモンド商人にとっては大きな損害。
後に「ブラジル産のダイヤモンドは質が悪い!」 という噂や宣伝を立てます。しかし、ポルトガル人も負けじと、ブラジル産ダイヤモンドをわざわざインドのゴアを通し“インド産”の名目を付けてヨーロッパに輸出するという対策を取りました。この時代から企業間で争いがあったのには驚きですね。

さらに130年の月日が経ち、今度は南アフリカのオレンジ川でダイヤモンドが発見されます。これをキッカケに世界中でゴールドラッシュのような“ダイヤモンドラッシュ”が巻き起こり、数万人の人々がオレンジ川流域に集まったそうです。

このとき、南アフリカのキンバレー町ではじめてダイヤモンドの原岩が発見され、オレンジ川を中心にダイヤモンドの採鉱活動が開始されるようになりました。

徐々に宝石の王座を占めるようになったダイヤモンド

大規模なダイヤモンドの発掘

最初にダイヤモンドの原岩が発見されたのは南アフリカのキンバレー町だったことから、その原石は「キンバーライト」と呼ばれています。

このキンバーライトが発見される前まで、ダイヤモンドは河川の砂礫層の中でしか見つからなかったため、人間の手ではなかなか採集することができませんでした。個人個人の大きな労力を使い、手掘りや椀かけなどでしか採集することができなかったため、なかなか価格も供給量も安定しなかったんですね。

そんな時に「直径1km」ものダイヤモンドの原岩であるキンバーライトが見つかったため、これらの事情が変わり、ダイヤモンドの大規模採鉱が可能になりました。

このことで産出量が一気に増大し、ダイヤモンド販売機構もどんどん大きくなっていき、徐々に宝石の王座を占めるようになっていったのです。

また、採鉱活動が始まったことにより今日のデ・ビアス社を中心とするダイヤモンド販売機構が多く設立され、流通量をコントロール。

ダイヤモンドの価格が高価で安定するようになったのは、希少性だけでなく徹底的に練り上げられたマーケティング戦略の結果でもあります。

日本にダイヤモンドが入ってきたのは文明開化の時代

江戸時代に日本にダイヤが伝わる

記録上、最初に婚約指輪を贈ったのはオーストリア大公マクシミリアン。ダイヤモンド婚のはしりと言われていますが、日本にはいつごろダイヤモンドが入ってきたのでしょうか。

ダイヤモンドの和名「金剛石」は仏典の「金剛不壊=何者にも侵されない硬さ」に由来します。日本人の祖先は、仏教伝来とともに仏典などでその文字は見ていても、長い間実際にダイヤモンドを目にすることはなかったのです。

日本にダイヤモンドが正式に紹介されたのは江戸時代。エレキテルや土用丑の日で有名な、蘭学者の平賀源内らが開いた物産会に出品されたのが最初と見られています。

しかし鎖国をしていた江戸時代において、ダイヤモンドは海外の接点があった一部の人のもの。一般の人が指輪などの装飾品として身につけるのはもう少し先の話。

刀装具職人がダイヤモンドの指輪を作り始めた

刀鍛冶が装飾品作りに

もともと日本の女性は、季節や行事に合わせた色や柄の着物と、帯や帯締めかんざしなどの組み合わせでオシャレを楽しんできました。

幕末の開国の時代、1867年に創刊された日本初の雑誌「西洋雑誌」(柳川春三編)に高価な装飾品としてダイヤモンドを取り上げた記事が掲載されたのです。

明治になってだんだんと礼服が和服から「洋服」になり、帯刀禁止令が発令されると刀装具職人たちは職を失っていきました。刀が不要となった時代、彼らの新たな仕事はなんだと思いますか?

そうです。

新たな仕事として西洋の装身具(ジュエリー・アクセサリー)などに移っていくのです。その中でも和装にも合うファッションアイテムとして、最初に取り入れやすかったのは指輪。

明治6年3月の新聞雑誌に「金銀の指輪を掛けるもの多し」、翌年11月の同誌では「婦女子など手の指に輪金(指輪)を用いるは当今一般の流行なり」と報じられるのでした。

ダイヤモンドジュエリーを身につける皇后

「ダイヤモンドと銀座」P56より

このころ皇后の春子様がヨーロッパから輸入されたティアラ・ネックレスなどのダイヤモンドジュエリーを身につけ、鹿鳴館に集まる上流階級の人々のあいだでジュエリーを身につけることが広がっていきました。

当時の大臣である井上馨夫人がつけていた、パリのシャンゼリゼ通りで買った1カラットのダイヤモンドリングは羨望の眼差しだったとのこと。

国宝となるような洗練された日本刀を作ってきた刀装具の職人が、日本における宝石職人のルーツ、婚礼におけるダイヤモンドリングのルーツなのは面白いですよね。

日本の指輪職人の腕が世界でも指折りなのは納得です!

日本でダイヤモンドが一般化する前に商売を始めた「いのうえ」

いのうえの歴史

実はわたしども「宝石・時計 いのうえ」の歴史はさらに古く、創業は文政11年(1828年)。

初代は福岡県久留米市で、かんざしやキセルの製造・販売をスタート。創業から細工の丁寧さ・表現力の豊かさ、なによりお客様第一の仕事ぶりで高い評価を受けてきました。

その後、本拠地を福岡市の川端に移し、現在の『いのうえ』の基礎を築くことになるのですが、そこにはちょっとしたエピソードが。

「宝石・時計 いのうえ」は指輪やダイヤモンドを扱うプロ

ダイヤモンドは自分の目でもチェック

『いのうえ』が宝石や指輪などの装飾品を本格的に手がけるきっかけは、5代目井上恵二が社長を務めた戦後のこと。

当時は板村基地(現福岡空港)にアメリカ空軍が駐留。恵二は、基地内のアメリカ兵から結婚指輪の制作を依頼されます。

しかし、戦後は金銀などの貴金属は稀少。アメリカ兵は自分のベルトのバックルや愛用していた金のライターを差し出したのでした。

その姿を見て育った6代目井上健一は、ダイヤモンドをもっと深く理解し、魅力を最大限に引き出そうと決心。単身渡米して、ダイアモンドグレーディングの世界標準である”4C”を考案したGIAの本場で猛勉強。『米国宝石学会公認鑑定士』を取得したのです。

帰国後は宝石の知識・グレーディング・鑑別技術をもとに国際的なネットワークをつくり、『高品質かつ低価格』の宝石時計販売の専門店として広く全国で知られるようになりました。

そして7代目となるわたし井上晃一も米国宝石学会公認鑑定士を取得し、プロポーズから婚約・婚礼含め、ベストな指輪選びができるようお手伝いさせていただいております。

まとめ

ダイヤモンドがプロポーズやブライダルなど、宝石の主流になるまでには色々な歴史がありました。

このように、ダイヤモンドの歴史や知識を知るだけで、ダイヤモンドの重要さや貴重さ、日本で作られる指輪のルーツを改めて感じることができたのではないでしょうか?

ぜひこの知識を彼女にも共有してあげてくださいね!

また、ダイヤモンドを扱う老舗として、「宝石・時計 いのうえ」の宝石鑑定士として、わたくし井上が婚約指輪選びについてもやさしく解説した記事もありますのでぜひご参考ください。

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